戦国の覇者とは、「プロパガンダ」のチャンピオンである
ビジネスマンもヒントにできる戦国武将の策略
■プロパガンダの実例
さて、戦国時代の武将がどのようなプロパガンダをやったか、有名なエピソードをいくつか紹介していきましょう。
まずは、毛利元就です。この人は、西を大内・東を尼子といった強敵に囲まれながらも、裏切りと謀略を駆使してのし上がり、大内・尼子の領土のほとんどを征服、中国地方の大大名になりました。
その元就の跳躍台となった合戦が、弘治元(1555)年の厳島の戦いです。
主君の大内義隆を殺し、仇敵の大友氏から義長を連れてきて大内家に強引に養子入りさせ、傀儡の主君にしていた陶晴賢と、当時元就は険悪になりました。
多勢に無勢の状況で元就は策をめぐらします。まず厳島に砦を築き、「あそこに築いたのは大失敗だった」とボヤキました。それを晴賢の忍者(スパイ)が聞きつけ、元就の追手が追いかけますが、逃げられてしまいました。一方、晴賢は、スパイが持ち帰った情報を信じて大軍を厳島に差し向けます。
実はこれこそが元就の罠で、わざとスパイに偽情報を持たせ、厳島におびき寄せたのです。この元就の策は見事に嵌まり、まんまとおびき寄せられた晴賢を自刃に追い込むことに成功しました。元就は以後、旧義隆派を糾合して晴賢の残党を掃討し、最後は大内家の領土をすべて自分のモノとしました。「謀略の元就」と言われる所以です。
ちなみに、元就は陶晴賢のクーデターに加担していましたが、長らくそれを伏せていました。自分にとって不都合な事実を隠すというのも、プロパガンダの重要な手法なのです。
ちなみに、この「スパイにわざと情報を伝える」という手法は、現首相の安倍晋三さんも過去にやっていたそうです。
平成14(2002)年9月17日、当時の小泉首相は北朝鮮の金正日委員長と会談するために平壌に乗り込みました。最大の懸案は拉致問題です。午前中の会談では、もしかしたら1人も返さないのではないか、と思われていました。お昼の休憩時間に控室で同行していた安倍さん(当時官房副長官)は、北朝鮮側が仕掛けた盗聴器に聞こえるように、わざと「1人も返さないのであれば、席を蹴って帰りましょう」と叫びます。一説には、「戦争しかありません」とも言ったとか。午後の会談で、金正日が5人の拉致被害者の帰国を認めたのは、ご存じのとおりです。
話を戦国時代に戻しましょう。